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自分の居場所 – 下町ディープラーニング 国際女性デー2022特別編

 みなさんこんにちは。dottの清水です。

 今日は2022年3月8日、国際女性デーということもあり、いつもの連載はお休みして、せっかくの巡り合わせなので下町ディープラーニング工場のメンバーの1人であるYuYuMoeMyint(ユユ・モー・ミン)さんをお迎えして話を聞いてみましょう。dottは自分のカテゴリーを問わず、仲間のことを考えられるチームを目指しています。

 YuYuさんはdottを設立して間も無く、当時は別の会社のエンジニアとして一緒に仕事を始めました。当初は日本語を全く話しませんでしたが、自主的に勉強を続けミャンマーから日本にやって来て、今ではdottクルーの1人として働いています。

 ミャンマーで生まれ、東京に来てからもエンジニアとしての才能を発揮し続けているYuYuさんの話はとても興味深いので、ぜひみなさんにも紹介したいと思います。

子供の頃に夢見た仕事は

ー今日はよろしくお願いします。

「はい、よろしくお願いします。」

ーYuYuさんは小さい時からエンジニアを目指していたんですか?

「子供の頃は医者や教師、建築家のように人の役に立つ仕事がしたいと思っていましたが、エンジニアになりたいと思っていたわけではないんです。小さい頃は自分の意志というよりも、親の影響もあるかなと思います(笑)」

ーそれは意外ですね!エンジニアとして優秀なのでずっとプログラムとか書いていたのかなと思っていました。どうしてこの職業を選んだんですか?

「高校のころはまだ教師になりたいと思っていましたが、その頃「University of Technology, Yadanabon Cyber City(以下、UTYCC)」というITの専門の大学が出来ばかりで、お母さんにはその大学が良いんじゃないかと言われました。英語や数学の試験をパスしてその大学に入ることができました。UTYCCはIT専門の大学です」

by Hybernator – CC BY-SA 3.0

ーいきなり専門性の高い大学を目指して合格できるっていうのもすごいですが…。パソコンはもうその時には得意でしたか?

「中学生の頃からタイピングゲームなどをやっていたくらいです。あとはWordとかExcelを触ったり。ネットワークエンジニアとして働いている兄がいて、中学生の時にパソコンを勉強しようと言われていたこともありました。その頃ヤンゴンにある兄の職場に遊びに行ったんですが、コンピューターを使って仕事をしている人達がかっこいいなと思ったことは覚えています」

蘇ってきたある記憶

「それで思い出したんですが、そこにとても優秀な女性のエンジニアの人がいたんです」

 話を進めていく中で、YuYuさんは唐突に昔の出来事を思い出しました。それまで自分でも忘れかけていたような記憶だったようですが、自分の選択してきたことを振り返ってもらう中でお兄さんと職場の人たちのことを鮮明に思い出していきます。

ーYuYuさんが元々いた会社は僕が知っているリーダーはみんな女性ですし、エンジニアも半数以上が女性という印象があります。お兄さんの会社も女性が多かったんですか?

「いえ、女性はその人ひとりだけでした。その中でとても優秀なお姉さんがとてもかっこよく見えました。兄はその人を紹介してくれて『YuYuならこの優秀な人みたいに絶対なれるよ!』と言ってくれたんです。もちろんその時はまだ教師になるつもりでしたが、今思い出すと自分に大きな影響を与えていたような気がします。本当にかっこよかった」

by Thar Lun Naing CC BY-SA 4.0

ー実際に自分と近いカテゴリーの人がその仕事をしているのを見ると「自分でもできるかもしれない」と勇気づけられることはありますよね。逆にそれがないと難しいことに思えてしまう。

「はい。ただ本格的にコンピューターについて勉強したのは高校を卒業してから大学に入るまでの期間(注: ミャンマーは16歳の3月に高校が終わり大学は12月から始まる)です。その時初めてインターネットに触れ、それまではGoogleの使い方も知らなかったくらいでした。だから大学に入って1年生の時にHTMLやJavaScriptを初めて学んで、その時ようやくプログラムの面白さを知ったと思います」

プログラムの醍醐味

ープログラムはどういうところが面白いと思いますか?

「大学2年生の時のJavaの授業で、プログラムを書いていると当然エラーが出ますよね?その時はとても苦労しますが、解決できた時がとても『嬉しい!』という気持ちになります。それがとても面白かったです」

ーそれはプログラムの面白いところですよね!僕もエラーを解決するときはとても楽しいです。

「そうですよね。この頃にはもうエンジニアとして、プログラマーとして働きたいと思うようになりました。大学院に進んでそのまま大学の先生になるということも考えましたが、エンジニアになりたい気持ちが強く、進学はしないで働こうと決めました」

ーきっと良い大学だったんですね。

60人中4人!?

 YuYuさんの出身大学であるUTYCCは、日本語にすると「ヤダナボン・サイバーシティ工科大学」となるでしょうか。ヤダナボン・サイバーシティというITに特別力を入れているエリアに2010年12月に開校した新しい大学です。どんな大学生活だったのかを少しだけ聞いてみましょう。

ーちょっと日本で育った僕から見ると不思議なことがあって。さっきも言いましたがYuYuさんの元の会社はとても女性が多いですよね。大学もそうだったんですか?

「ソフトウェア・エンジニアリングのクラスは成績順にABCDEクラスと分けられるんですが、私のいたクラスでは、60人中4人が男性で、女性の方が多かったです。学年は300人くらい学生がいて、その中だと100人くらいが男性でした」

ー逆じゃないですよね??日本とは状況が全然違うので驚いています。

「ネットワーク・エンジニアリングの方は学生が80人くらいいて、そこは半分が男性、半分が女性という感じです」

ー分野にもよるんですね。ちなみにYuYuさんは何クラスだったんですか?

「Aクラスです(笑)」

ーやっぱり!当時から優秀だったんだなぁ(笑)優秀なクラスに偏りが出てるというのも興味深い点ですね。前に「あるカテゴリーの人が多い状況では、少ないカテゴリーの人たちが力を発揮しづらい」というチェスの研究を読んだことがあるんですが、やっぱりある集団においてはバランスを積極的に維持することが大事だと感じます。

自分の居場所

ーミャンマーという国自体、女性がソフトウェアエンジニアになることを推奨されているような雰囲気があるんですか?

「いいえ、古い考え方をしている人たちも多いです。親戚の中では優秀な子がいるけど『ITは女性に向いてないから女性に向いている仕事をさせよう』と言う親もいます」

ー日本でも同じことを言う人はいますね…。どこにでもいるんですね。

「その親戚の子には『自分の好きなことをやれば良いんだよ!』と言っています。興味ややる気があるなら、絶対にやったほうがいいと思います。そうすればそこに自分の居場所ができると思います」

好きなことを諦めないで欲しい

ー子供の頃の自分に会ったとしたら、ソフトウェアエンジニアになることを勧めますか?

「はい、絶対に薦めます。ミャンマーにいる友達は、医者だったり看護師だったり、その場所にいないとできない仕事をしている人も多いのですが、その人達から『パソコンさえあればどこでも仕事できるあなたが羨ましい』と良く言われます。もちろん友達のような仕事も大切ですが、今のミャンマーでは仕事がなくなってしまう人もいます。でもエンジニアはそう言う時でも自分の頭とパソコンさえあれば、どこでも、どこの国の相手とも仕事ができます」

ーなるほど。社会が不安定になるほど、確かにこの仕事はとても強いかもしれませんね。今日はとても有意義な話を聞くことができました。

「こちらこそ、ありがとうございます」

ー最後に、今エンジニアやプログラマーになりたいと思っている人たちに向けてメッセージをお願いできますか?

「はい。エンジニアやプログラマーは、自分が作ったプログラムを使っている人に『いいね!』と言われた時、自分が作ったものは人の役に立っていて、自分が他の人に必要とされていると感じられる素晴らしい仕事です。自分がこの分野のことを好きだったり興味があるなら性別は全く関係ない。もし反対されていたり、勉強することが難しい状況だったとしても諦めないでほしい。この仕事ができると、自分の居場所が必ず見つかります」

 インタビューを終えてみると、話の中で何度かYuYuさんの口から出てきた「居場所」という言葉がとても印象的でした。ちょうど2021年、ミャンマーで軍によるクーデターが起きたことは皆さんの記憶にも新しいと思います。それまで当たり前に続くと思っていたことが、簡単に力によって変わってしまう。そんな経験から、自分の居場所があることの大切さを、僕たちに教えてくれているのかもしれません。

それではまた、次回の記事で。