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AIとルネッサンス – 下町ディープラーニング 閑話1

 みなさんこんにちは。dottの清水です。

 前回までは、ちょっと込み入った文章のAIの話をしていましたが、今回は少し閑話休題ということで、イタリアで絵画修復を学び、現在は機械学習などをやるエンジニアというおそらく珍しい自分の経歴をもとに「AIと文化」というテーマでお話ししたいと思います。

 たまに自分の経歴を話す機会があると「遠そうな二つの分野だけど共通点はあるんですか?」ということを聞かれます。

 答えは至ってシンプルです。全くないです。

 ただ、そんな似ても似つかない分野だからこそ、合わせ鏡のように自分たちのやっていることを見つめ直せるという良さがあるとも思っています。そんな観点からAIのような技術と人間の関係について考えながら掘り下げていければなと思います。

 そしてもうひとつ、雑談の中で高確率で聞かれることの一つに「人間はAIに仕事を奪われるのか」という話題があります。

 この答えも至ってシンプルです。はい、火を見るより明らかです。

 今回は過去の歴史の中で人間が歩んできた道を辿ることで「ある技術に人類は仕事を奪われてきたのか」ということを見ていきたいと思います。

グーテンベルクの活版印刷

 今から600年くらい前に、ちょうど僕が絵画修復を勉強をしていたフィレンツェという町を中心に、ルネッサンスという文化的・技術的に人類が華々しく発展した時期がヨーロッパに訪れました。

 ルネッサンスの三大発明と呼ばれるものに「火薬」「羅針盤」「活版印刷」があります。火薬や羅針盤がどのように文化に貢献したのかというのはとても有名だと思いますから、今回はこの「活版印刷」に焦点を当てたいと思います。

 活版印刷というのは、それまでの板に文字を掘ったりしてそれをインクで刷るようなものとは違い、ABCなどのアルファベットの判子のようなものを組み変えて、印刷したい内容の文章を自由に作ることができるものでした。

このような「活版」を使って印刷する – Public domain, via Wikimedia Commons

 例えば本を印刷することを考えたとき、その本が300ページあれば、板を使った印刷では表裏の600枚分の板が必要です。薄い板では印刷にすぐに耐えられなくなるので、かなり頑丈なものか、金属のように重たいものである必要があります。それが600枚も必要となると…保管しておく場所や版を作る費用も馬鹿にならないですよね。

 その他にも活版印刷は部品の規格さえ合えばすぐに修理できるという画期的な利点もありますが、この話を始めると主題が全く変わってきそうなので、いつか機会があれば話ができるといいなと思っています。

写本家という仕事

 ルネッサンスの成功を語る前には「中世」についても少し触れておかなければなりません。大体ルネッサンスが始まる1300年代後半までを「中世」と言いますが、その時代はキリスト教会がヨーロッパ世界を支配していた、少しだけ暗い時期でした。

 ヨーロッパにおいて中世の美術品というのはキリスト教を題材にしたものが殆どす。殆どというか、文字の読めない人々に教えを広めるための手段として、絵画が用いられ発展してきたといった方が正しいかもしれません。

 文字は聖職者を含む特別な階級の人々が使うものだったので、そもそも本の需要自体が少なかったのですが、本を増やすためには「写本家」と呼ばれる専門家の手作業が必要でした。文字は限られた人にしか使えない特権であり、本もまた限られた人しか見ることのできないものだったということです。

アリストテレスの自然学の写本 – Public domain, via Wikimedia Commons

 僕たちが何かの知識を学ぶとき、おおよそそれらは「文字」から得られるものです。文字を支配していれば権力は安定し、文字の読めない人々には絵画を用いて教えを説くという方法で、キリスト教会は長い間安定していました。

宗教改革と活版印刷

 マルティン・ルターという人物は、当時のキリスト教会が発行していた、いわゆる「免罪符」に対する批判を行い、宗教改革という運動を広めることに成功しました。

 その成功に一役買ったのが、活版印刷です。

1522年に活版印刷によって作られた「95ヶ条の論題」 – Public domain, via Wikimedia Commons

 ルターが提唱したとされる「95ヶ条の論題」が活版印刷によって瞬く間にドイツ中に拡散したことで、それまでヨーロッパを支配していた封建的な世界に一つの選択肢を与えました。この宗教改革によってカトリック教会の象徴である数々の美術品が破壊されたという出来事は、美術品の修復を学んだ人間としては少し複雑な思いですが、人々が民主的な文化活動を手に入れるためには必要なことだったのだと思います。

 活版印刷の登場で、写本家たちの仕事が奪われていったことは紛れもない事実です。活版印刷に限らず、さまざまな機械の発明や技術の革新によって、それまで存在していた職業はなくなり消えていったことは歴史が証明しています。

 なので今の僕たちが携わっている仕事というのは、人間の知能を凌駕するAIが出てくるというSFのような出来事がなくても、いつか無くなるものだと思います。

 しかし宗教改革の出来事から学ぶことは、新たな技術の登場は一定の破壊をもたらしますが、それにより世界がより一歩、民主的で自由になっていくということだと思います。

 なので「人間はAIに仕事を奪われるのか」という問いには「はい、火を見るより明らかです」と答えると最初に言いましたが、それは悲観的なものではなく、数百年後の人々にとって素晴らしい歴史の一つになると思います。

修復とITの共通点

 最初はないと言いましたが、そういえば、修復の分野で学んだことの中でひとつだけ今の仕事に活きていることがありました。

 文化財というのは、人の寿命よりも長い時間存在するものなので、「決して現代の価値観や技術だけで保存しよう、答えを出そうとしてはいけない」という考え方です。

 技術革新のスピードの速い分野なので、現時点でのベストを考えつつも、将来的な技術の発展や拡張性を加味して設計を行うという考え方は、今の仕事でとても役に立っているのではないかと思います。